12 モダンダンス(1)
一九二九(昭和四)年一〇月。銀座六丁目の三階建てのビルのせまい階段を原田弘夫は、トントントンと軽快に駆け上がっていった。
三階のドアを開けると、そこには、古ぼけたビルには似合わない、モダンなダンススタジオがあった。二〇坪ほどのフロアにはすべてチーク板が敷かれ、壁の一面は鏡張り。二面の窓からは秋の午後の光がフロアの奥にまで差し込んでいる。 ジャズが流れる中、フロアの中央では、一組の男女がダンスに興じている。いわゆる「フォックストロット」と呼ばれるミドルテンポのダンスである。二人とも、歩くように自然なステップを踏みながら、男性が大きな動きでリードする。一方で、女性が、かなり小刻みに、少し激しく身を転じていくさまには見ごたえがあった。 男性はこのスタジオの主・山田五郎。アメリカとヨーロッパで長年ダンスの修行をし、前年に帰国した新進舞踊家である。 二〇世紀に入り、欧米の舞踊界ではリズムの革命が展開されていた。リズムを単に動きを合わせるべき規則とするのではなく、いかにしてリズムをダンスで表現するか。この音楽を添え物から表現の主テーマへと引き上げた手法は「リトミック」と呼ばれ、ここから、「ノイエタンツ(新舞踊)」がドイツを中心に生まれていた。まさに「モダンダンス」が誕生しようとしていたのである。 山田五郎は、このリトミックを体得したダンサーとして、モダンダンスの伝道者となるべく帰国した。年齢は、三〇歳を少し過ぎたところで、すらりと引き締まった肢体からは、時代の先端を行く者らしい自信と自負が見てとれた。 そして女性の名は澤蘭子。帝国キネマの看板女優である。 一九一四(大正三)年、宝塚少女歌劇養成会(現・宝塚歌劇団)の第一回公演が行われ、一九一八年には、東京でも生徒を募集するにいたった。千葉県生まれの一五歳の少女・松本静子も、これに応募し、歌劇学校での厳しいレッスンの日々に身を投じることになった。 千葉特有の南方系のバタ臭さい顔立ちながら、真っ白な肌をした静子は、人目を引いた。大きな澄んだ瞳は、きらきらと輝き、利発さを感じさせたが、同時にそれは、彼女の並外れた激しい性格の表れでもあった。「清く正しく美しく」をモットーに、従順を求める宝塚少女歌劇の世界は、静子には、窮屈なくびきでしかなかった。舞踊と歌唱の実力を身につけると、静子は、宝塚から飛び出した。 女優・澤蘭子の誕生である。 一九歳で日活から主演映画を発表した澤蘭子は、すぐに帝国キネマに移籍し、次々とヒット作をものにした。そして一九二四年、大正演歌の大ヒット作となった「籠の鳥」をモチーフに制作された主演映画「籠の鳥」が大ヒットし、澤蘭子は、押しも押されぬスター女優となった。毎年一〇本以上の主演映画を発表し、帝国キネマの現代映画をひとりでしょって立つさまは、まさに女王の貫禄だった。 目鼻立ちのくっきりとした風貌と生来の激しい性格があいまって醸し出される独特の雰囲気。毛皮と宝石をこよなく愛する澤蘭子は、女優になるために生まれてきた女だった。 山田五郎のスタジオには、たくさんの女優たちが生徒として集まってきていた。女優たるものこれからはダンスのひとつも踊れなくてはならない。欧米仕込みの舞踊家のもとで一流のダンスを学び、芸域を広げたい。そんな思いから、飯田蝶子などベテラン女優から、栗島すみ子、若葉信子などの若手まで、松竹蒲田の女優たちがこぞって、山田のスタジオに通うようになった。鬼才・小津安二郎の監督デビュー直後の松竹蒲田は進取の気概に満ちていた。 しかし帝国キネマの澤蘭子の思いは、松竹の女優たちとは異なっていた。宝塚で、一流の舞踊を身につけているのだ。山田のもとを訪れたのも、自らの舞踊に磨きをかけるためであり、西欧の最先端を体得するためだった。確かに山田のエスコートで躍動する蘭子の身のこなしはなかなかのものだった。そして、女優としての誇りとは異なる、舞踊家としての自負心がみなぎっている。 “きれいな踊りだな” スタジオの隅で、着替えながら、そのさまを眺めていた原田弘夫は、そう思った。 ジャズのレコードの終了とともに、きめのポーズをつくり、山田の抱擁から離れた蘭子は、鏡の前のいすに座り、しっ詰めていた髪をほどきはじめた。 「ちょっとあなた、髪の毛ひっぱってくれない」 蘭子は、鏡に顔を向けたままそう言った。 「ねえってば」 鏡に映る蘭子の瞳が、自分に向けられていることに気づいて、弘夫は、我に返ったように蘭子に近づいた。蘭子の瞳は少し怒っているように見えた。 弘夫は、解き放った蘭子の長い髪を斜め上に持ち上げ、少し引っ張った。蘭子は、髪の根元をリボンで縛り、くしを入れ始めた。うなじから首筋にうっすら汗をかいている。 弘夫のレッスン着は、まるでギリシャ彫刻のようだった。袖がなく、胸が大きく開いたひらひらのカーテンのような服は、そのままでは、足元まで垂れ下がる。これを引き上げて、腰のベルトで押さえる。布は、ひざ上まで引きあがり、足はむき出し。これにバレーサンダルをはくのだから、並みのかっこうではない。しかし一七三センチの身長と、国籍不明なくっきりとした顔立ちが、そのファッションを異様とは感じさせなかった。 蘭子は、よく弘夫に用事を言いつけた。胸元をゆるめて、背中に白粉を塗れと命じることもあった。それは、召使に対する態度にも見えたし、弟に対するもののようにも見えた。その接し方には、異性を一切意識しない尊大さがあった。そして弘夫もまた、目の前にいる女性が、大女優であろうと、絶世の美女であろうと、そんなことは関係ないといった態度である。 |
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