紅葉して
おちはして きみ黝(くろ)き渕に ととめすや
愚聴風 「私、さっきから見ているのですけど、あの水底の紅葉の葉、重なり合ったままわずかな水の動きにたゆたっています。今の私達って・・・きっとあんな貌だと思うのです・・・」 「そうだ、隠れ住んで、決して水の動きに逆らってはいけない。君の美しさはそう言うところにあるんだ」 「私って、直ぐに流されてしまうんだわ。 ね、そうでしょ」 「流されることは悪いことではない」 ひと吹きの凩(こがらし)が紅葉を散らせた。 「わたくし、凩の韻(おと)・・・怖い」 梨津子はそう言って永山の胸に顔を埋めた。紬の和服からのぞいた白い項(うなじ)に落ち葉が留まった。淡い石鹸のにほいがたちのぼった。 ![]() あれは三ヶ月前の夏のことだった。雁山湖の黝(あおぐろ)い渕を見つめている梨津子に、ふと話しかけたのが永山だった。そのとき、永山の描いた絵の絵葉書を見せられたが、梨津子はその絵をどこかで見た記憶があった。あの暗い流れは何だろうと思ったが、そのまま忘れていた。 それは彼女の裡に住む暗い渕のイメージと相似たもので、永山の絵に重ねてみると殆ど一致してずれるところがなかった。梨律子の中の暗い渕はますます確かなものになっていったのである。 その後三ヶ月間に亘り、二人は幾たびかの夢を重ねた。梨律子の肉は留まることを知らなかった。 梨律子の肌が艶めくと同時に暗い渕はますます黝い艶を増していったのである。 梨津子は一ヶ月に二度の逢瀬が待ち遠しかった。湖畔の一室で永山と夢を重ね合って幾そ度になるが、それだけにその一回一回は新鮮で、また多くの発見とともに濃密で確かな刻印を押された。 「わたくしたち、もう何回になるかしら、わたくしいつも新たな居場所、いいえ高みのような悦びを・・・あなたが下さるんですから・・・」 永山のお気に入りの紬から抜きだされた肉付きの良い白い肩から腕へかけての流れは梨津子の一番美しいところだった。 そこをじっと眺めている永山を、梨津子は狂おしいばかりに愛おしく思うのだった。 (いつまでも、そうやって見つめていて欲しいわ・・・) 永山と探る暗い渕には二ひらの楓の葉が揺らいでいた。ときに激しくなるとまたたゆったった。 やがて楓の葉は二匹の胡蝶になり、重なった二枚の絵の渕へと落ちてゆくのだった。 梨津子は永山の下にあって、落ちて行く胡蝶の舞を見ていたら二匹はやがて重なり一つになったかと思うと又分かれて、それぞれ別々に黒い渕を一直線に落下していった。 胡蝶は梨津子自身だった。 「きっと死ぬときはひとりなんだわ」 身をもって自分の孤独を悟ったとき、梨津子は凩の叫びを聴いたように思った。 了 |
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