第50回 シーズー犬「シシ丸」 いつもキミが、そばにいた
ほんの数秒後、少し間をおいて二度だけ、シシは大きく深呼吸をした。体にはまだ温もりがある。まだ生きている? そしてシシがスーッと、静かに前足を伸ばした。それからのシシは、微動だにしなかった。二度目の奇跡は起こらなかった。
信じられない事実を目の前にした私は、頭の中が真っ白になった。シシの死を実感できないまま、というより絶対に認めたくないという悔しさからか、とめどなく涙が溢れてくる。やがて娘に促された。 ![]() 「パパ、シシ君が目を開けたままだから、閉じてあげて」 帰宅してから、二十分後のことだった。 その夜、私と娘はシシ君の傍らで一緒に寝た。まんじりともしない夜が、とても長く感じられた。シシ君の爪を切ってあげることは、とうとう、できなかった。公園に散歩に連れて行ってあげる約束も、果たせなかった。 二〇〇七年一月七日、二十二時三十分。享年十歳。五月になれば満十一歳の春を迎えるはずの、凍てつくように寒い夜のことだった。 翌朝、足を突っ張ったまま横たわっているシシの前歯の間から、舌がのぞいていた。口の中に戻そうとしたが、シシの体はすでに硬直しており、それは無理だった。娘は頬に涙を伝わせながらひざまずき、シシの体をやさしくさすってあげると、そっとタオルをかけてあげた。それから数分後、娘のケータイ電話が鳴り、柏市に住んでいる娘の従姉家族が朝まだ早いというのに花を届けに来てくれた。目をつむって動かないシシに花を供えながら、「シシ君……」と涙ぐんで話しかける姿を見ると、私は嗚咽(おえつ)をこらえきれなくなってそっと部屋を出た。もうひとりの従妹からも、近所の親しい人からも花が届いて、窓際に置かれたシシ君の遺影は花で埋もれた。シシ君の遺影は、うれしそうに笑っている。私はまともにその写真を見ることができず、目をそらした。 ![]() 以前から獣医さんに聞いていたお寺に、この日、シシを埋葬する。お別れコースは決めていた。まず、三年間、バッグに入れられて散歩した団地のかつてのわが家の前に行き、道端に車を止めた。私はその家の近くのガソリンスタンドで給油することにしていたが、引っ越してからも給油や洗車をしてもらう待ち時間には、近くの公園までシシを連れて行き、時間をつぶした。それがまるで、昨日のことのようによみがえってきた。そんな時のシシは幼犬時代の散歩コースをしっかりと覚えていて、かつて通った道をトコトコと先導し、昔と同じ場所でオシッコとウンチをした。 (シシ君、懐かしいでしょ。キミが育った家が見えるよ。キミがよく遊んだ公園はあそこだよ。あのころは楽しかったね) かつてのわが家のベランダには、新しい住人の洗濯物がヒラヒラと舞っていた。 (シシ君は、ベランダの柵の間から外の景色を見るのが大好きだったね。引っ越した家のベランダはコンクリートで固められて何も見えなかったから、つまらなさそうだったね) ベランダには私たちが引っ越す時に置いていった、衛星放送用のテレビアンテナがそのまま残っていた。 (いつまでも感傷に浸って、メソメソしているのはやめよう。シシはお母さんのツレちゃんや兄弟分のトロイと違い、同じ場所にじっとしているのが嫌いな子だった。シシのためにも長居するのはよくない。大好きだった場所はまだまだあるのだから、その場所をなるべくたくさん見せてあげよう) |
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ひとこと数:2
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関雅行さん[1199] | 2012-05-23 20:43:35 |
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雅夫さん[1220] | 2012-05-24 15:29:49 関さん |
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自分が飼っていた犬の思い出と重なり、辛くなりました。亡くしてから8年になりますが、可愛かった仕草表情をいまだに思い出します。