作品

『禅語不覚』

『禅語不覚』

電子書籍ビューア」対応作品

作者:
慧智和尚さん[1244]
カテゴリー:
その他
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作成日

2011-11-11 15:39:01



『禅語不覚』

『禅語不覚』の序

 『禅語』とは、公案として使われている祖録や、その一転語。祖師方の語録の内で、本来は“文字や言葉”で直接的には表すことが出来ない悟りの境地、“禅のこころ”を表象したものです。ですから、短い句を“文字通り”の意味で理解しても不完全で、その心を知って体験し、反芻して“生き方”や考え方と言う思考行動様式に表れてこそ価値があります。ですから、『論語読みの論語知らず』という教訓もありますが、それ以上に『禅語知りの禅知らず』にならないように気を付けなければなりません。
 禅は禅宗3派の肝であり“宗教”と言っても過言ではありませんが、仏教各宗派に共通する修行法でもあり、昨今の欧米ではキリスト教信者のままで坐禅や公案と取り組み、結果、生涯一雲水として人生を道場として修行を続ける方は一千万人を超えています。
 禅宗を離れた禅は、何事にも囚われない、拘らない、偏らない心で、科学や哲学、地域文化を排除せず、あるがままの現実を勝手に解釈することなく、あるがままに受け入れて、対立する事なく、犠牲にしたりされたりせず、己が主人公の人生を創意工夫を以て融通無碍に活き活きと生きるための“行動を伴う哲学”と言った方が相応しいかもしれませえん。蛇足になりますが、禅宗系とそれ以外の宗派仏教には、『仏教』という括りを超えてしまう違いがあります。それは禅宗系は“信心”であり、他宗は“信仰”です。なお、信仰は神道もキリスト教もイスラム教で御馴染の通り“絶対者(神や如来など)を必要としますが、禅宗系の“信心”は、己の外に絶対者を求めるような“御伽話”とは無縁で、己自身の内に宿る本来の己を実現するという“自己実現”型の“宗たる教”です。
 私自身、禅坊主の端くれではありますが、『規矩作法 守り尽くして破るとも 離るることなく 本を忘るな』を一日一生の誓願として実践し、聖俗一如の世を生きている60才の一雲水です。
 ですから、この『禅語不覚』は、私自身が世の荒波の中で“前後不覚”に陥りながらも、七転八起しながら、己を己の唯一の本師とするべく自問自答した結果であり、雲水日記の類です。それ故、禅宗系の本山の老師・師家方や仏教学系の学者の解釈とは異なる場合があり“喝”を受けるやもしれませんが、“其れは逸れ”で右から左に受け流し、唯我独尊の心で、一切の底本を用いず、誤字脱字も気にせず、本日から気儘不定期に書こうと思います。
快山慧智こと小林惠智(0-111111)

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